don't worry

この世界はどこまでいっても灰色なんだよ。
2017年07月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2017年09月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

いのべーしょん

inkaibundoh.jpg

写真の向きが若干変なのは気にしない。

かっこいい舵が置いてあったのは、聞いて驚け本屋さんの階段。
元町の商店街で一番大好きな場所やった。

最近閉店してしまって、今はドラッグストアになってしまったから、もう見られることはないけどね。
一度でいいから、誰かをここへ連れて行ってびっくりさせたかったなぁ。
ほんとに凄いところだったと思う。

ちなみにこのドラッグストア、商店街の端にもう1店舗あるのよね。
歩いて10分もかからない距離なはずなのに、よく出店に踏み切ったなぁといつも思う。

***

この写真を撮ったのは閉店前日。
俺も含めファンの多い街の本屋さんなだけに、もちろんお客さんでいっぱいで、
いわゆる閉店前の閑散とした感じは一切なかった。

いや、売り場に若干の空きがあること以外は、
普段と全く変わらなかったといってもいいかもしれない。

あさってになったら本当に誰も入店できなくなってしまうのか?
明るい時間帯に、入口の前に置いてある雑誌が片づけられている光景など、想像すらできなかった。

それでも、未来は動かないのだ。

いつもと同じように時間を潰しながら、この不思議な感覚の理由を考えていた。
普段と同じように何か掘り出し物はないかと新書のコーナーをひととおり指でなぞっていたときに、ふと気がついた。

閉店前なら、普段とは絶対に違う光景が見られる。
だとすれば、普段と同じ光景が見られることそのものが、普通じゃない。

何かしからの粗を探すとき、小さな違いは案外見つけやすいのよね。
大部分が正常な中に、小さな異常があったら、まわりに強調されて目立つからね。

でも、異常が大部分を占めるくらい大胆なものだったりすると、かえって気が付けないことがしばしばある。
あまりに巨大すぎて誰もそれがおかしいと思わないし、
変だと思ってもそんなはずはないと勝手に否定すらしてしまうことがあるからね。

いわゆる木を見て森を見ずという現象に近いものだけど、
防ごうと思ったらまずは大局を見る。細部じゃなくてね。

そんなこんだで、閉店する事実を受け入れるための結論を適当に作れたことに満足をして、俺は本屋さんを出た。
だけど、最後まで違和感をぬぐい切ることができなかった事実は変わらなかったのだ。

***

売り場に空きがほとんどない理由は、本屋で働いたことがない業界を知らない俺ですら、知識としては知っている。

再販制度で値下げできないから。要するに投げ売りができない。
しかも、大部分の本は出版社から販売を委託されたものだから、
売れなければ返せばいい。つまり投げ売りの必要すらない。

よくできた制度だと思うけど、
本屋さんは仕入れ時に買い取る必要がないメリットがあると同時に、
極端な話をすると、本屋さんは出版社から送られてきた本を全て陳列しないといけないから、
出版社が売りたい本を本屋さんに売らせるようにできるよね。

だから、本屋さんの店主が売りたい本を自発的に仕入れることは難しくなる。
本が売れなくなったと叫ばれること久しいけれど、
現場で売買する人間の意見よりも、作り手の都合に左右されてしまう制度上やむを得ないことやと思う。

実際、どこも同じような本ばかりになってるしね。

個人的にはこの制度はやめるべきだと思ってる。

インターネットによる送料が無料とかポイントサービスがついてる通信販売が普及してる現在、
本屋で本を買うメリットがなくなってきている以上、
地方や街のこじんまりとした本屋さんを疲弊させるものでしかないからね。

おそらく、これから先ニッチな本を扱う小型書店は、
どんどん潰れていくか、
コンビニのように雑誌や流行りの本に特化するように変化しないと生き残れないと思う。

これ以外にも、昔は機能していたけれど、情報技術の急速な発達により弊害が目立つようになってきた制度は数多くあると思う。

再販&委託制度は有名やし分かりやすい例だからともかく、
様々な業界の商慣習を知っておけば損はしないでしょうな。
まぁ、実際に飛び込んでみて初めて分かることも多いだろうから、難しいところやけど。

***

ただ、業界自体は厳しくなってきているとはいえ、本屋さんは新規参入するには魅力的に俺には見える。

売れた分だけの原価しか払わなくても良い。売れなければ返せばいい。
一消費者としては規制はなくすべきだと思うけれど、
その規制のおかげで、物を売る商売ではあり得ない好条件で、本屋さんは本をやり取りできると考えることもできる。

物事には表裏あって、立場によってとらえ方が違う。
言われてみれば当たり前のことだけれど、自分のことで手一杯だと気が付けずにいらいらするだけになってしまうと思う。

さて、ここからどのようにして、儲かる話を作ろうか。
誰がどうやってお金を儲けているかというのは分かりやすい例としてあげたけど、
2013年はより物事を仕組みで考えようとする習慣が強くなったと思う。

今年は(も?)何もかもが思うように全然いかなくて、
自分の世界にひきこもった挙句に時間だけが過ぎていって結果を何も残せなかった年だったなと思うけれど、
それで苦しみ続けていただけだった今までと違って、
どうすればより良くできるだろうと考えられるようになったと思う。

少しずつだけど着実に、自分というものが固まってきた年だったと思う。
今までは適当にならざるを得なかった物事に対する取り組むうえでの考え方や方法論を、
自分で考えられるようになってきつつある実感がある。

昔描いた理想における最低限の自分を、現状は大きく下回る自分がここに存在していて、
こんなはずじゃなかったと、そのギャップのあまりの大きさに苦しむことは変わらないけど、
変わるためのわずかな光が、この1年の沈黙の間に、自分にさしてきたような気がする。

何も成長もなく腐っているだけにしか見えない自分かもしれないけど、
自分の中では少しずつ変わりつつあるのは間違いない。
あとは、目に見える何かを積み重ねていけばいい。いつかは山になって飛躍できる。

まだまだ俺は捨てたもんじゃない。そう思って終わりにしよう。
スポンサーサイト
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

けーき

2013hiroshi.jpg

今年は割と自信作。
今年も例年と同じ方法で、手に1本だけを残して、まず先に残り全てのろうそくを刺してしまう。
そして、手にしているろうそくに火をともし、ケーキに刺さっている全てのろうそくに火をともして、
最後に手にしている火のついたろうそくを刺して完成。

当然ながら、火をともしている間も手にしているろうそくは徐々に短くなっていくから、
時間との戦いでもあり、最後の1本を刺すのは相当苦労した。

来年も上手くいくかどうかは分からないが、スリルがあって実に楽しかった。

ケーキ屋の店員さんの接客は今年はこんな感じ。

「誕生日ケーキとしてお願いできますか?」
「かしこまりました。メッセージはどうされますか?」
「○○くん、おたんじょうび、おめでとうでお願いします」
「○○くん、おたんじょうび、おめでとう・・・ですね。ろうそくの方は何本にされますか?」
(ここは紳士的に)「申し訳ないんですけど、小さい方を24本でお願いできますか?」

ここで店員さんの反応を楽しむ予定が、

「かしこまりました。お受け取りはいつにされますか?」と、
何事もなかったかのようにあっさり返される。こりゃ参ったでしかし。

相変わらず、「○○くん、おたんじょうび、おめでとう」を
「○○くん T O」とメモする店員さんの仕事っぷりはプロフェッショナルであるが、
そこまで無反応でなくてもいいんでなかろうかと思うんだが、
こちらが楽しめる反応をしてくれと店員さんに要求するのはさすがに無理があるのだろう。

以上、随分遅れたけど今年の誕生日ケーキ戦争の報告でした。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

つかいたくないしんどろーむ

shokaiseki.jpg

しばらく見ないうちに海外に飛んで行ったり、夢の世界に迷い込んだりしてました。とくちです。
写真の国に行った感想は、ほとんど日本と変わらんやんと。
さーてどこだ。

***

スマートフォンはしばらく使うことはないと思う。
周りが使っているから俺ものっかかってみた!みたいな、見栄を張ろうという感覚は決してないわけじゃないけれど、
自分の中にあるその手の欲求を、毎月使うお金が増えてしまうことに対する抵抗感が圧倒してしまうからね。

とにかく、お金を使いたくない。一言でいえば、使いたくないシンドローム。昔からずっとそう。
かといって、貯金が好きでもない。ただ使うのが嫌なだけ。

年齢とともに金銭感覚が変わるのは仕方がないことで、
実際俺も少しは大きな買い物を平気でするようにはなってきたけれど、
お金を使うことに対する抵抗感はいくつになっても変わらない。

本屋とか服屋とか雑貨屋にはしばしば足を運ぶのに、お店を回るだけ回って買わずに帰るのが当たり前。

普通は何かを買うといった目的をもってお店に行くものだと思うけれど、
俺にとっては時間を潰すためだったり、見ることを楽しむためなのよね。

買い物からお金を使うという行為を抜いたらそうなるっちゃあそうかもしれない。

女子か!って話。
というわけで、男なのに俺は人の買い物についていくことにも抵抗はない。

ひとりだとどうしても同じようなお店ばかりに行っちゃうけど、
誰かと一緒なら普段行かないようなお店を知るいい機会だし、
自分が楽しめる範囲が広がるかもしれないから前向きに考えられるしね。

まぁ、同じ店5回も連続で連れて行かれたらさすがに嫌になるけどね。笑

ちなみに、電車に乗るときは必ず切符を買って乗車するようにしてます。
カードで乗車すると途中下車に対する抵抗感が消えちゃうしね。
いつの間にかいっぱい運賃出してたってことにはなりたくない。

同じ理屈で、これから先必要に迫られない限りクレジットカードを作ることもないと思う。

別になりたくてなったわけじゃないけれど、
あらゆる欲求より経済的感覚が優先してしまうあたり、俺には天性のけちの素質があるのかなと思ったり。

そういえばニュースで1円単位の運賃が解禁されるってあった記憶が。
電子マネーの方が数円安くなる(当たり前だけど)みたいだけど、
もしも自分が使う路線がこうなったら、さすがに考えなきゃいけないなと思う。

結局は何が一番安くつくかというだけの話になるやろね。

***

サービス開始から2年もしないのに、はや利用者3億人とも言われるline。
うちの姉が今のように流行るずっと前から使っているのだけど、
あの姉ですら立派に使いこなせているあたり、相当便利なんやろなって思う。

おっと、姉に失礼とか言っちゃだめよ?

とまぁさておき、lineのサービスの本質は、利用者の電話帳をサーバーに吸い上げることだと思う。

これによって、ユーザーが友人を検索する手間をなくすという、
他のSNSにはない圧倒的な差別化にlineは成功してて、
現在のような大流行につながったと思う。

電話帳をサーバーに吸い上げてしまうと発想に違和感を抱く人はいるだろうけど、発想自体は革命的で凄いと思う。

だから、lineというサービス自体は俺は嫌いじゃない。
むしろよくできているなと感心してるくらい。

***

この記事ではさっきまで使いたくない話ばかりしてきたから、勘の良い人ならもうお分かりだと思うけど、
俺は意地でもlineを使いたくないのよね。

その理由も、電話帳を吸い上げるということにあるのよね。

さっき褒めたばかりなのに何言ってんだって話だから説明すると、
電話帳を吸い上げるのはユーザーが同意がないとできないけど、その同意をしたユーザーに問題があるってこと。

この表現だと分かりにくいから言い換えると、
電話帳には当然自分以外の個人情報が入っているわけだから、
電話帳を提供するのは他人の情報を第三者に提供するのと同じことになる。

サービスに加入するために加入する本人自身のの個人情報を提供するのは、
自己責任の問題で片づけられるから全く問題はない。

でも、許可なく他人の情報を第三者に提供してもいいという同意をしても良いとは、俺には思えない。
(無自覚な人が大半だと思うけど)自分の目先の便利さがために、
(なんら抵抗なく)他人の情報が含まれている電話帳を提供してしまうのは絶対に間違ってる。

俺たちの友情とか信頼関係ってのは、自分が便利だからという理由で破っていい程度のものでしかないの?
少しでも感受性を働かせることができれば、やっちゃいけないことだって気付くと思う。

少なくとも、個人情報について厳しくならざる得ない立場にいる人たちなら絶対にlineは使わない使えないはず。

要するに、lineに登録するときに電話帳を第三者に疑問なく渡してしまうような鈍感な人たちと一緒になりたくないのが、俺がlineを使わない理由なのよね。
lineは嫌いじゃない。lineを使ってる人が嫌なだけ。

もうみんな使ってしまっているのだから、もはやこの批判もほとんど意味がないことくらい分かってる。
こんなこと言ったら友達をなくすことだって分かってる。

でも、それでも、俺は自分が正しいと思った行動を貫きたいのよね。
これは、そんなにおかしなことなのかな?
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

こうそう

comooooon.jpg

かもん!

7年後自分が何をやってるのかなんてとても想像できないけれど、
生きる楽しみが1つ増えたことは確かだ。

***

ameyo.jpg

東京で一番行って良かったと思ったのがここ。雰囲気が素晴らしかった。

ちなみにここのJRの高架下のお店は、元町のそれと似た感じで、
初めて行ったのに慣れ親しんだ場所にいるかのような感じがした。

改めて思うのは、元町のそれは高架下にしてはきれいすぎるなってこと。
普通高架下ってのはある程度薄汚い裏のイメージがあると思うのだけど、元町のは全くそうじゃない。
洗練されているという言葉がぴったり。

たぶん、アメ横が普通で、元町が異質なんだと思う。

いつだったか、この街はもっと観光する人のことを考えるべきだみたいなことをここで言ったけど、
これだけ差があると、街の存在に触れること自体に価値があるんだなと再認識させられた。

課題は、なんだろう。
三宮はとにかく座るところがないから、ベンチの設置からやね。笑

***

undersky.jpg

しばらく文章を書かないでいると、やっぱり感覚がなまる。
なんてことない内容でも、文の形にするだけですごく時間がかかる。

こりゃいかんですわ。
消息不明が長くても、とくちはみんなが思った以上に元気にやっておりますのでご安心を。

とりあえず今記事のアイデアが3つあるから、時間はかかっても形にすることを目標にしてみよう。
流行のlineについて、読書記録と最近閉店したあの書店の話。
日記 | Comments(2) | Trackbacks(-)

べんりさとはいたせい

shibuyacenter.jpg

空き時間に渋谷に行ってみた。

何も知らない俺は、何かバスケに関するイベントでもやってんのかなと、最初は思ってた。
で、バスケ関連のお店でもあるんだろうと思って探してみたけど見つからず。

おかしいなと思ってお家に帰ってから調べてみると、
どうやらこのセンター街は本気でこの名前らしく、びっくり。
んなあほな話あるかいや。

なんとなくだけど、お上が勝手に下に押し付ける形でこの名前に決めてしまったんだろうなって推測。

その場所と何も関係のない名前がつけられているのは関西では見ないから、
この言いようのない気持ち悪さはある意味で東京らしさなのかなとも思うのだけど、
それはさておき、
東京にきて一番がっかりしたスポットが渋谷というのが正直なところ。

センター街とくれば繁華街的なきらきら感じで栄えているのを期待してたのに、
実際行ってみると大きめな商店街にしか見えなかったし、
イメージほどきれいでもないし洗練されてるようにも見えなかった。

狭いところに大きなテナントが詰め込まれたごちゃごちゃな感じの方が目立つというか、
かつてもてはやされたくらい本当にここから流行が生まれているのかなと思ってしまった。
入り口はあっても出口はないし、どこまでがセンター街かも分かりにくい。

モザイクの裏を友人と歩いてたときに、
「最近このあたりさびれてきてねぇ」と言ったら、
真顔で「これはさびれているとは言わない」と言い返されてしまったことがあるんだけど、
きっと俺の感覚は普通じゃない。
前にも神戸の街について似たようなこと書いたけどね。

だから、読者の人は信用度半分くらいに考えてくれればいいと思う。

でも、何度も行きたいのはどっちかと言われれば断然三宮だし、
繁華街を追い求めるのなら新宿に行ってればなぁと俺は思った。

しかし、大型店多かったなぁ。こじんまりとした雰囲気のあるお店が好きなんだけど。
淘汰の結果とは分かっていても、なんだか少し寂しい気がした。

***

cyuou.jpg

上野から渋谷に行ったんやけど、
何も考えずに山手線でじっくりゆっくり行くくらいなら新しいものに挑戦した方がいいだろうということで、
初めて中央線なるものを使ってみた。

ずっと乗ってみたかったんだけど機会がなくてね。

さて、中央線を大阪に置き換えて考えてみると、
大阪から天王寺まで直線で行くのと同じ感じやと思う。

環状線だとそういう路線はないから地下鉄に乗るしかないわけやけど、
東京は全部JRだから、運賃も安いし早い。

こりゃどう考えても便利やわな。

鉄道自体はきっと需要があって発展してきたものだと思うけれど、
どないかならんのかと思うのが、乗換え。

初めての場所だから、当然看板を注意深く見ながら目的地に向かって歩くのだけれど、
その看板に矢印があるのはいいとして、
○○線まであと130メートルって距離を書くのは、意味が分からなかった。

距離を書くということは、俺の感覚だとまっすぐ歩いて○○メートルってことだと思うのだけど、
実際に歩いてみるとどうもそうじゃなかったらしく、
何度かカーブしなければ目的地にはたどりつけないから、
歩きながら正しい道を行ってるのかどうか疑心暗鬼に陥ってしまった。

直線距離で50メートルくらいまでなら目視できないことはないからともかく、
100メートル超えをその他距離の短いものと並べても、
途中で今現在何メートル歩いたか分かる人間なんているわけないから役に立たないよね。

最大の問題はカーブのところに必ず矢印が書いてくれてるわけじゃないということで、
割と方向感覚には自信のある方だけど、
これじゃほとんどの初めての人はひとりじゃ歩けないんじゃないかと思った。

細かく路線網ができてるのは慣れさえすればすごく便利だけど、
細かすぎるがゆえに全てに配慮がゆきとどかないという側面は見逃したらいけないわけで、
便利さはそれを享受できる能力がない人間を排除してしまう効果もあるのかもしれないと考えるきっかけになった。

***

昔は東京に住みたい気持ちが強かったけど、最近は全然そうじゃなくなってきた。

もちろん慣れ親しんだ街が好きなのもあるけれど、
些細なことから生じる違和感のようなものを東京にいるといろいろと感じるのは確かで、
それが積もり積もって徐々にストレスになっていくのが嫌だというのが理由。

どんなことにおいても、自分の感覚でやっていけるかどうかが、
自分にとっての最優先すべき基準になっているなと最近になって思う。

前に理不尽は嫌だと書いたけれど、
要するに自分が好きなことだけをしたいだけなんだなって。
チンケな正義感とやらを貫きたいだけなんだなって。

生きていくためには現実を見なきゃいけないのは分かっていても、
それで妥協するくらいなら投げ出した方がましだと思ってしまう。

つくづく自分勝手だなと思うけど、
かと言って自分を変えたいとも思わない自分のプライドの高さのせいあって、
これからの人生を勝手気ままに生きるためにはどうすればいいかということばかり、最近は考えている。

人の言うことを聞かないで生きていくためにはどうすればいいか、って書けば分かりやすいかも。

ここまで偉そうに言うけれど、
今現在自分勝手できるだけの力は俺にはないという事実がある以上、
組織の中で個性を出さずひたすら従順になることで、
人の言うことを聞くストレスを無力化するようにしてる。

自分の個性を出そうとすると、組織の論理と衝突するから、
自分でストレスを抱え込むか、組織にストレスを抱えてもらうかのどっちかになるわけだけど、
後者なんてへたれの俺にできるわけがない。笑

でも、このままじゃあ従順以上のモチベーションがないから、
創造性とかが生まれないわけで、
長期的に見てパフォーマンスが上がらないというジレンマがある。

運良く組織と自分と利害が一致すればそれに越したことはないけれど、
価値観が似たような人と結婚するとかえって破綻しやすくなるのと同じ(俺の持論)で、
独立なりして、結局は自分がやりたい放題できるようにするしかないんだと今は思ってる。

とにかく今やるべきことはひとつ。
考えるな、ただやれ。それだけだ。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

へびろて

とにかくあつい!
昨日までの3日間だけとはいえ、どうなってんだってくらい。
今日は雨が降ったおかげで、実に快適である。

暑さとは関係ないけれど、間違えて最新の記事を削除しちゃったよどうしよう!
元に戻したいけど、バックアップとってないから消えっぱなし。
内容も少ししか覚えてない。あわわわわ。

どうやらやっちまったらしい。
落ち着こう落ち着こうと心に言い聞かせても、できないものはできないのよね。

とりあえず要点をひねりだしてみると、

・レディーファーストは男女共同作業
・全ての基本は相手の尊重であり、作法を形式的になぞれば良いというものではない
・最低限の主張(最悪こうされるのが嫌という否定の気持ちだけでもいい)や立ち位置を女性には示してほしい

まぁこんなもんか。

とにかく、最低限の義務である尊重すべき対象すら示しもしないで、
やれ権利だからと配慮ばかりを求めるような人に、レディーファーストを語る資格はないと思う。

男の俺が言うべきことじゃないかもしれないけれど、
義務を果たしもしないで権利だけをあさましく求める女性が増えてきてるのは、厳しいようだけど事実だと思う。

***

minatogawa3.jpg

たまにはこういう建物もいいよね。
お待ちかねの東京写真は、次回の更新からがんがんやります。

***

いくら勘違いのミスで記事を消しちゃって嫌になったとはいえ、それから既に2週間以上。
いい加減書くことから逃げたままじゃあいかんでしょう。
リハビリを兼ねて、最近よく聴いている音楽や面白いなと思った本でも書いてみる。
んで、軽くコメントでもつけとけばペースがついてくるはずだ。

***

まずは曲から。
書いてみて思ったことは、1年くらい前からあまり好みが変わってないなぁって。

まだまだ開拓精神は失っていないつもりなのだけれど、
最近はあまり良いと思ったものが見つかっていない気がする。


・むすめ/関取花
女子大のCMで流れてるから、関西の人なら知ってる人も多いかなと。
学び”やがれ”といったような独特の歌詞が面白くて、メロディも個性があって良いと思う。

彼女の「中くらいの話」ってアルバムを、
去年の冬にたまたま三宮に行ったときに(たぶん相当の大規模店じゃないと置いてない)借りたのだけど、
6曲とも全部良い曲で、最近になっても何度も聴いている。10月のあなたって曲も好き。
おすすめ。


・同じ空の下/高橋優
仕事ハッケン伝は毎週録画して観ている自分。ついうっかり忘れても再放送があるから大丈夫。
YoutubeにあがってるPVは観るべし。曲とシンクロしてて素晴らしい出来。考えさせられる良い内容。

ちなみに、カップリングの髭って曲もすごくいい。
こういう魂の叫びを歌にできる歌手はなかなかいないと思うんだ。


・ランナー/NICO Touches the Walls
一度売れてしまうと、万人受けする曲を作ろうとするあまり、作風が徐々に変わってしまい、
違和感となって一部の初期のファンが離れてしまう現象はよくあると思う。

変化を成長と捉えるか、リスナーへの媚と取るかは聴き手次第だけど、
時には作品を出すほど洗練されて良くなっていくアーティストもいるのも事実。
彼らはその中に入ると思う。高橋さんもそう。

彼らのアルバムだと、サード(緑の奴)からはどれもすごくかっこいい。
この曲は彼らの曲にしては比較的シンプルな応援歌かな。
必死を俺に誓ったはずだよって詩は、浮かばない。


・CAN YOU SPEAK JAPANESE?/清竜人
彼のサードアルバムの最初の曲。
第一声が、「先生、あなたを愛しています」。うおおおおおおおおおおいどうなってんだ!

この曲に限らず、アルバム全体を通して大変なことになってます。
きれいな思い出をぶち壊したくないあなたは、聴くべきではない。

とはいえ、聴けば聴くほどよくできてるなと感心してしまう曲。
こんな歌詞でよく曲になるなぁと、相変わらずの飛びぬけたセンスには驚かずにはいられない。

しかも、曲調からは想像できないけど、普遍的なテーマを曲の内容として扱っているのが、彼の凄まじいところ。
アレンジも全部やっているという話。

本当に図抜けた才能を持っている天才だと思う。
変態と紙一重だけど。いや、見方によってはただのど変態だけど。笑


・君からのメッセージ/井出綾香
彼女の曲は、ぱんてーんや予備校などあちらこちらのCMで毎日耳にするようになったけど、
彼女がデビューしたての頃にラジオで流れてたライブ音源を聴いて一発で大ファンに。

ちょうど1年くらい前に彼女が西宮にイベントでフリーライブに来てたから、
当然のごとく観に行き、ついでにアルバムも買ってジャケットに名前付きでサインまでもらってしまった俺やばいどうしよう。

とにかく、純粋で真っすぐ。今時こんな存在もいるんだな、って、おっさんくさいことを言ってみる。


・Runaway Baby/Bruno Mars

洋楽枠。
たぶん世界中で今一番売れていると思われる人。
なのに、なぜか自分の周りでは彼を知ってる人を見かけない不思議。

少し前に来日してて、Mステにも出てたのが記憶にも新しい。
デビューアルバムしかまだ聴けてないけれど、何度もリピートしてます。

他にもThe Lazy Songとかもすごく良い。

こりゃあきっと日本でも売れますぜって、声を大にして言いたいけど、
adeleと同様に、海外でいくら売れても日本ではそうもいかないって感じになる気がする。

普通なら、売れ線=良いものって式は成り立つと思うけど、
ここ日本の音楽業界は全くそうはなってないのが現状やしね。


・行くぜっ!怪盗少女/ももいろクローバーZ
まさかのアイドル枠。

とくちもついに壊れてしまったかと思うのはみなさんの勝手だけど、
実はこう見えても人並み以上に昔のアイドルの曲は知ってると思うのよ。
少年時代にあほみたいに聴かされたせいで、大人になった今でも頭から離れなくてね。

ハロプロとかAKBとかももクロちゃんがもてはやされているけれど、
アイドル全盛は70年80年代だと信じてます。俺は生まれてないけど。

この時代のアイドル=歌謡曲のイメージで、普遍的な魅力のある曲ばかり。

ピンクレディーなら代表曲はほぼ知っている。

わたしの彼は左利きとか、年下の男の子とか、狼なんて怖くないとか、ロマンスとか、
木綿のハンカチーフとか、センチメンタル・ジャーニーとか、プレイバックとか、
どれも良い曲やで聴いてみ?

あなたがすきなんですぅ~ってね。おっと失礼。

この前うっかり、近所を歩きながら、
ようこそここへわたしのあおいとり♪って口笛刻んでたら、
周りを歩いてたおばちゃんの視線を集めてしまったのは秘密。

今で言うと、Perfumeとかきゃりーちゃんの曲を作っている人は、
明らかに歌謡曲を意識して作っているよね。
レーザービームとか、電子音じゃなかったら完全に歌謡曲にしか聞こえない。

だから、彼女たちはアーティストじゃなくてアイドルだと個人的に思う。

ところでももクロちゃん、曲だけ聴いていたらアイドルって感じがしません。
アルバムを聴いてもアイドルのアルバムを聴いた感じが一切しないのです。

おそらく、ベースにあるのが歌謡曲じゃなくて、ロックだからだと思う。
アイドル=歌謡曲だと信じてきた俺にとっては、不思議なのです。
彼女たちはアイドルを自称してるけど、やってることはアーティストに近い。

そんなわけで、よくわからないんだけど、どうしても気になってしまうのです。

***

長くなってきたんで本は次にします。これからも頑張って書くでい。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

れでぃふぁーすとろん

hatoba2.jpg

少し前の話。
知り合いの女の子が就活の説明会でこっちに行くからということで、ご飯を食べに行く機会があった。

いくらそこそこ仲が良いとはいえ、相手は年下だし女性だし、
一応は紳士的なキャラクターを自称している身だから、
振る舞いにはそこそこ気を遣っていかないといけないなと思っていたのです。

そう。レディーファーストができるいけてる男になるための良い修行の機会なのだ。

***

そして当日。ちゃんと時間までに待ち合わせ場所で落ち合えた。女性はともかく、男性の遅刻は厳禁だ。
しかし、安心したわけじゃないけれど、俺は失態を演じてしまう。

「適当に食べたいものを言わせて、それでそのお店に連れていけば良いや。これが食べたいとすぐに言ってくれるでしょ」と考えて、
あらかじめ行くお店のジャンルを選んでおくのを怠ったがために、
結局某ファミレスに行くと決めるまでにいろいろ歩き回らせてしまったのだ。

「何食べたい?」みたいな漠然とした質問を女性にしても、はっきりした答えが返ってくることは少ない。
「明石焼きはどないや」というように、若干の強引さをもってメニューを指定してしまうくらいがちょうど良く、それが女性に対する優しさでもあることを、俺は反省するとともに身をもって実感したのだ。

相手にまるで気にしている様子はなかったとはいえ、
失敗してしまったと自分で思ってしまったら、それは失態なのだ。

ともかく、なんだかんだで某ファミレスまでたどりついた。

さっとドアを開けてあげる。我ながら良い感じだ。
店員さんの案内もあって、席の前まできた。

ここで、「奥に座る?」と、いつものように聞く予定だった。
目下の人や女性にこう聞くのは、男のマナーであると俺は信じて疑わない。
しかし、事件が起きる。

相手の子が、「ごはーん♪」とノリノリで一目散に手前の椅子の席に座ってしまったのだ。
並の男なら、「あらこの子かわいい」とか思っちゃう光景だと思われるが、俺は違う。

これじゃ聞きようがないじゃないか!どうしてくれるんだちくしょう!
とは、我が心の叫びだ。

仕方がないので、
「荷物どうする?こっちに置いとこか?」と一言聞いて、しぶしぶ奥のソファーの席に俺は座った。
わざわざ奥に座らせるために、もう1度席を立たせるなんてばからしいからね。

***

なんで突然こんな話を語り始めたのかというと、
レディーファーストについて考える良い機会になったから。

要するに何が言いたいのかというと、
レディーファーストは男性だけの義務ではなくて、男女の共同作業で成り立つということです。

女性側がなにもせずにでんと構えているだけでは、男性側も女性に優しくするのは難しい。
男性の優しさを引き出す役割を上手に女性が演じてあげることで、男性も自然にレディーファーストな振る舞いができるようになる。

ここを勘違いして、
男性はレディーファーストをするのが当たり前だと言わんばかりに、
権利だけを求めて義務を履行するのを忘れてしまっている女性がとても多い気がするのです。

海外のことはよく知らないけど、
少なくともここ日本でレディーファーストが根付かないのは、
反発を恐れずに言えば、男性よりも女性の側の問題の方が大きいと俺は思ってます。

さっきの話は、
こちら(男性)が相手(女性)にレディーファースト的な行為をやろうと思っても、
女性が勝手な行動にはしってしまったら、
男性からすればどうしようもなくなってしまうという例をあげるためにしたわけなのです。

他にも例をあげてみよう。

レストランに入って、店員さんが席まで案内してくれるときは、女性を先に歩かせる。
いないときは、男性が席を探すのが良いというのもマナーのうちの1つです。

ということは、店員さんがいれば、お先にどうぞと言わんばかりに、
男性はじっとするか、そっと手を出したり目くばせをしたりして女性に先に歩かせようとするでしょう。

しかし、女性は男性の意図に気付かずに、
「先に行かないの?」と聞いてしまったりしたら、どうなるでしょう。

男性からすれば、店員さんの目が恥ずかしいし、気を遣ったことがばからしくなりますよね。
「何のためにアピールしてると思ってるんだよ!」ってなると思います。

この場合だと、少なくとも、
男性の「先に行ってね」という意図をくんであげるか、
マナーとしてそういうものだと知っておく義務が、女性にはあると思います。

何度も言うけれど、男性だけがいくら頑張っても、女性の助けや誘導がない限り、
レディーファーストは成り立たないのです。

***

そんなことを言っても、
世の中レディファーストができない男性が多すぎると不満に思う女性はたくさんいると思う。

そんな人のためのお話は次回に。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

そとからみると

hatoba3.jpg

来週、東京に遊びに行くことになった。
とりあえず浅草近辺に行くことだけは決まっているのだけど、残り1日分まるまる予定が決まってない。
さあどうしよう。

会う人いない、
これという目的があって行く場所もない、
おみやげに何を買えばいいのか分からない。

ねーちゃん困ったでしかし。
唯一の救いは、ひとりでいられるからフットワークが軽いことくらいか。
いつも通りじゃん良かったねとかいうツッコミは入れちゃ駄目。切なくなる。笑

それはさておき、
東京を代表する都会って、いざ観光するとなると案外困ることが多い気がする。

とりあえず、ひととおり何でもある。それはそれで良いことだ。
でも、何でもあるがために、かえって何をアピールすれば良いのか分からなくなることがあると思うのよね。

大阪とか神戸とかもそうだけど、お土産の話をすると、
ここでしか買えないってものが、
全国にあるものの地域限定版くらいしか浮かばない。

都会って、何もしなくても活発だから、あえて人集めの工夫をするまでもない。
中にいる人だけで全てことが完結できちゃう。
だから、外から来る人のことを考えて街が作られないのよね。

そして、その都会は中の人の都合良いようにどんどん進化していって、外の人に適応を強いていく。

計画的な街作りとか観光振興とはよく言われるけれど、
外部の視点を入れずに、地元の人だけでああしようこうしようとやっても、
ひとりよがりになってかえって逆効果になるんじゃないかと、
最近になって考えるようになった。

街中をあてもなくひとりさまようのが当たり前になり、
いつしか歩けば歩くほどいろんなことを考えていられるようになった。

てか、ほんと東京で何したらいいのかわかんない。
こっちでできることをわざわざ東京まで行ってやろうとは思わないから、ますます困る。
何かないかなぁ。

じゃなくって、何かひねり出さんといかんのよなぁ。

***

せっかくなので、外からおらが村を見てみようということで、
この前の小学校時代の友人が神戸に戻ってきて驚いたことをいくつか話をしてくれたので書いてみる。

センター街や元町の商店街は有名よね。
いわゆる繁華街って、夜も眠らないようなイメージがあると思う。
朝になるまで、きらびやかで暗くならない。

だけどこの両者、夜の9時にもなると、(たぶん)全てのお店が閉店ガラガラになる。
この光景が友人君にとっては衝撃だったらしい。
これからが本番の時間帯なのに、みんな揃ってお休みしてどうすんねんと。

だから、このあたりは結構治安が良いから、
制服を着た学生とか、女性が1人で平気で歩いてる姿がよく見れたりする。

普段から歩いている俺は何も思わないけど、
落ち着いて考えたら、繁華街を学生や女性が1人歩いてたら危ないと思わないといけないわな。

この経験はいろんな街を歩くときにいつか役に立ちそうな気がする。

***

ikutaroad.jpg

ちなみに、このあたりは不夜城なイメージだけどね。
みんなが考える繁華街。センター街より北の方。

もう1つ。
中学生だったころ、自閉症の子が同じクラスにいたんやけど、
彼は絵の才能があって面白い奴だったなということは今でもはっきり覚えてる。
他にもなかよし学級っていう、障害のある子向けの特別クラスみたいなのもあった。

俺にはそういう経験があるから、
(知的)障害を持ってる子が、学年に1人くらいいるのが当たり前くらいに思ってて、
割とそういう人と一緒にいることに慣れてる方だと思うのだけど、
これって、神戸以外では珍しいことだと彼は言っていた。

統計がないから真偽は分からないけどね。
だから、神戸って、他の町に比べて障害者がいることを前提とした設計ができているらしい。

どちらにせよ、マイノリティとされる人を当たり前だと受け入れられる経験ができたというのは、
これから先役に立つかどうかは別として、
学校で教育を受けた財産だなということは強く感じる。

障害者ってどうしても異質な存在になっちゃうけど、
それを最初から異質な存在だととらえるのと、
当たり前な存在だと認識したうえで受け入れるのとでは、
考え方や姿勢が大きく違ってくるのは確かだもんね。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

しじまち

shukugawa5.jpg

ありがたいことにご好評をいただいたので、追加で夙川公園の写真をアップしてみます。
この写真は、前の記事の1枚目の写真にあった橋の上からの1枚。

***

shukugawa6.jpg

なぜか端っこしか写ってなかった池とはこれのこと。
この池の反対側も道になってて、一面の桜の木の下を通り抜けられるのはなかなか素敵だと思う。

***

shukugawa7.jpg

こちらはJRの線路のすぐ下から一枚。
左側の壁の上は、写真奥の方の階段から登ることができるようになってて、
そこが公園の入り口から一番奥のところで、
特に落ち着いた雰囲気で休憩場所としてはすごく良いと思う。

***

コンピュータは人間的なアプローチができないという理由の続きから。

コンピュータは、
あらかじめ人間がコンピュータに設定した評価関数を局面にあてはめて局面を数値化して評価してるんだけど、
実は、この評価関数の枠内でしかコンピュータは物事を処理できないのよね。

要するに、あらかじめ人間が設定した指示の範囲内の行動しか、コンピュータはとれないのです。
人間は、ある状況から様々な情報を得て、それらを総合して計算して、とるべき行動を判断できる。
この差はとてつもなく大きい。

例えば、ここに裏返しになったトランプが2枚置いてあるとする。
で、人間とコンピュータに、「スペードのエースのカードを取れ」と命令したらどうなるか。

人間なら、「トランプ」「2枚とも裏返し」という情報を得て、それらを総合して、
裏返すのが良いと判断して、意中のカードを取れるんだけど、
コンピューターは、裏返しにするということがあらかじめ設定されていないと、
両方ともスペードのエースのカードじゃないと認識してしまって、絶対に取れない。

つまり、コンピュータって、
あらかじめ全ての状態を想定して指示を与えてあげないと駄目で、
想定の範囲外の状況に陥ったらその時点で停止してしまう、
言わば指示待ち人間の究極のような存在なのです。

しかも、コンピュータは、
物事や状況の意味を理解できないし、理解をもとに行動することができない。
与えられた指示の通りコンピュータを行動させているのは人間で、
コンピュータが自らの意思で動いているわけじゃないからね。

だから、人間的なアプローチ、
つまり、指し手や形や定跡の意味を理解して、それらの情報を総合計算して指し手を(直感的に)選ぶのは、
コンピュータにはできないのです。

人間なら、未知の情報でも計算の材料として取り込むことができるけど、
コンピュータは、事前に想定された情報しか処理できないからね。

***

友人との協力とはいえ、
実際にこういうことを考えてみると、人間って凄いなとあらためて思うのです。

コンピュータって、あらかじめ答えや方法論が確立している問題を処理することはすごく得意だけれど、
これって人間にあてはめてみれば、思考停止状態でしかないよね。
ただ言われたように処理をこなしているだけなのだから。

これから生きていくためには、とにかく考えてアイデアを出す。
物事を処理する側じゃなくて、処理させる側になる。

そうじゃないと、自分の役割がどんどんコンピュータに取って代わられてしまうのは確実だと思う。

もしかしたら、この考える能力って、人間だけに与えられた特権かもしれない。活かさない手はないよね。

400年も昔に、
若くして「人間は考える葦である」と言ったパスカルさんの偉大さが、
少し分かったような気がする今日この頃です。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)

あぷろーち

minatogawa1.jpg

たぶん神戸で一番でかいと思われる神社。
ここは毎年正月の時期になると初詣の人でえらいことになります。

でも、初詣には行ったことがない。
昔から年中行事とかにはあまり関心がなくて、こういうのをやる習慣がほぼないせいか、
わざわざ徹夜して行くくらいなら寝ていたいと思ってしまう。笑

***

minatogawa2.jpg

本家の稲荷神社比べたら随分ちっちゃい。
でも、本家には行ったことがない。今度こそ!ってずっと思ってるけど。

***

昨日の続き。
結局彼とはいろんな話をしたけど、
教えてもらった話で印象に残ったのが、光とか音についての話。

空はなぜ青いのかという問題から、ヤングの実験の結果から光は波動か粒子かのどちらかという話とか、
作動中の電子レンジの中で俺たちは会話ができるのかとか、
これら(特に前者)は高校で習うのかどうかは知らないけどどれもこれも面白かった。

まぁそれはさておき、彼と会った日は、
前にこのブログでも少し触れた人間対コンピューターの将棋の喧嘩の最終戦のちょうど翌日だったのよね。

だから、コンピューターがどうやって強くなったのかという話はかなり詳しく聞かれて、
お互いに意見を出し合っていろいろと議論した末に一応結論めいたものを出したから、
せっかくだからここに書いてみることにする。
たぶん、この手の話もどこかでする機会が俺にはきっとあるだろうから。

***

結論から書くけど、
人間とコンピュータでは、「読み」に対するアプローチが正反対なのよね。

人間がコンピュータに将棋で完全に勝てなくなる日は、「近いうちに」くることは確実だろうけど、
だからと言ってコンピュータの方が人間より優れていると簡単に決めつけていい問題じゃない。

平たく言えば、人間とは異質の全く新しい将棋の考え方をする存在が新たに登場したと言った方がいいかもしれない。

今のところは、お互いがお互いを補完しあう関係になっていて、
今まではコンピュータが強くなるために人間の知恵を利用してきたけれど、
これからは今以上に人間がコンピュータを利用するようになっていくと思う。

というわけで、今から人間とコンピュータの考え方がどう違うかという話をします。
あくまで、友人君と俺との解釈だから、
100パーセント正しいと保障できないのはお忘れなきよう。

***

人間は、直感や経験といったもので、あらかじめ具体的に検討する手を数手だけに絞り込んで、残りは考えない。
人間的アプローチと名付けておこう。これは前にも書いたよね。

一方でコンピュータは、ある局面で、全ての指し手を検討するのよね。
(昔はコンピュータも人間的アプローチで思考するのが主流だったけど、
全局面を検討するボナンザというソフトが出てきて、これが非常に優秀だったために廃れてしまった)

例えば、ある局面で50通りの指し手があるとすると、
コンピュータは、その50通りの局面、つまり、1手先の全ての局面の形勢を、
まずは全て数値化(評価)する。

そこで、評価がある数値より(例えば-5点)以下の指し手は、
それ以降の指し手を読まなくてもいいと判断して、その時点で検討対象から切り捨ててしまう。

切り捨てられずに残った指し手が10通りだったら、
その10通りについて、次の指し手、つまり2手先の局面を検討する。

これっを同様に3手先4手先・・・の局面と、どんどん読み進めていけば、
徐々に検討する手順が減っていく。

で、
制限時間内で自らが可能な限り先の指し手まで読み進めていって、
最も評価の高い局面が出やすい(念のため書いとくけど、1手先の)指し手を、コンピュータは選ぶ。

これがコンピュータの思考アプローチ。
要するに、全ての手順を数値化処理して、最高の結果が出てくる指し手を選んでるのよね。

人間にコンピュータほどのたくさんの計算を一気に処理する能力はないから、
人間にコンピュータのようなアプローチは当然にできないのは分かってもらえると思う。

***

一方で、コンピュータも人間のようなアプローチは、(少なくとも今のところは)できないのよね。
この理由は長くなってきたから次に回そうと思う。
日記 | Comments(0) | Trackbacks(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。